暗黒面のト●ロ、ヘルマン・ゲーリングの親族って、弟アルベルトさんが反ナチ活動をしたり、愛妻カリンさんには先立たれるし、甥っ子ハインツは戦死するし、お父さんの凄さを後で知って後悔するし、実は親族に恵まれてないんじゃ?と思ったり。
このリストは不完全ですが、分かる範囲で紹介してみました。
※恵まれていないといえば、ちょび髭の甥でアロイスHジュニアの子ウィリアム・パトリック(1911 - 1987)はアメリカ側で戦いました。
最初はアルベルトさんだけ調べようとしていたのですが、途中で脱線してしまいました。。。ゲーリング家はどんな家族だったんだろう? ここで注意したいのは「ウィキの情報は哀れなほど間違っている」らしいのです。先妻にカロリーネ・ド・ネレさんとあったので調べたところ、カロリーネさんはハインリッヒ・エルンストのお母さんでした(汗)
ゲーリング家を調べるにはミュラーさん(Ilse Müller。他Günther Schweizer,Peter Werth)の2009年の著書がより良いそうです。私もgoogleの書籍検索でそのミュラーさんの本「Die Familie Remy: Kannenbäcker und Unternehmer Eine genealogische Bestandsaufnahme」に行き当たりました。このイルゼさんって、もしかしてフリーダさんの娘さんかしら?
【ヘルマン・ゲーリングの祖父母】
ヴィルヘルム・ゲーリング Wilhelm Goering(1791 - 1874)
カロリーネ・ド・ネレ Caroline Maria de Neree (1815 - 1880)
(他Axis History Forumの情報による)
※1834年に結婚。
【ハインリッヒ・エルンストとその子供たち】
外交官ハインリッヒ・エルンスト・ゲーリング Heinrich Ernst Göring(1838-1913)
○最初の妻アイーダ・フリードリケ・レミー Ida Friederike Remy(1847-1879)
※1869年7月24日に結婚。
●フリードリッヒ・ヴィルヘルム陸軍少佐 Friedrich Wilhelm(1870-1959)
●エルンスト・アルベルト Ernst Albert(1873-1909)弁護士
●フリーダ Frieda(1875-1929)
夫オットー・ブルヒャート海軍少佐 Otto Burchardt(Korvettenkapitän)(1865-1904)
・イルゼ Ilse(1898-?)
●ハインリッヒ・カール Heinrich Carl(1879-?) 医学博士・目医者
○最初の妻ドーラ・バールト Dora Barth(1881-?)
・息子ハインツ空軍大尉(法学博士) Heinz(1907-1944)
※ヘルマン・ゲーリング降下装甲連隊、大尉昇進は死後。
妻シャルロッテ・ズィールホフ Charlotte Seelhof(1942年3月結婚)
○ハインリッヒ・カールの2番目の妻エーディット・ツァンボーナ Edith Zambona (1898-?)
○ハインリッヒ・エルンストの2番目の妻フランツィスカ “ファニー”・ティーフェンブルン
Franziska 'Fanny' Tiefenbrunn(1859-1923)
※バイエルン百姓の出。May 26th, 1884年
●カール・エルンスト陸軍少佐(後に警察中佐) Karl Ernst(1885-1932)
○妻イルゼ・ブルヒャート Ilse Burchardt(1898-?)※↑のイルゼさんと同一人物。
・息子ペーター・ゲーリング Peter(1922-1941)
※「1941年秋にフランスで戦闘機パイロットとして死んだと、
アーヴィング(1989年、493ページ、498)が言っている」との情報も。
「Goring: A Biography by David Irving」
国境警備隊のペーターとは違う人みたいです。
※「カール・エルンストは1900年ごろ米国に移住し、そこで家族を持った、という話
(リンク1、リンク2)は全くの架空です」ですって。
じゃあこのリンクのヴェルナーさんが甥っこというのも嘘なの??
この記事は削除依頼がありますね。(続きは下の方に)
●オルガ・テレーゼ・ゾフィー Olga Therese Sophie(1889-1970)
○夫フリードリッヒ “フリッツ”・リーグレ Friedrich 'Fritz' Rigele(1878-1937)公証人
※1912年5月27日結婚。ベルヒテスガーデンの近くで登山中に事故死。
・息子クラウス・リーグレ Klaus Rigele
※Langeさんの著書(1950, p.92)では間違ったスペルClausで、
KnopfさんとMartensさんの著書ではKlaus Göringと記載されているらしい。。。
グイド・クノップ(Guido Knopp)がTV番組「History」でクラウスさんにインタビューしている。
(参考)
「Göring: Eine Karriere by Guido Knopp(ゲーリング・キャリア)」
「Der Reichsmarschall im Kriege. Ein Bericht in Wort und Bild by Eitel Lange」
「Görings Reich. Selbstinszenierungen in Carinhall by Volker Knopf, Stefan Martens」
●ポーラ・エリザーベト・ローザ Paula Elisabeth Rosa(1890-1960)
○夫フランツ・フーバー Franz Hueber(1894-1981)
※1920年9月6日結婚。オーストリアの法務大臣。1945年に戦犯として投獄されていた。
●ヘルマン・ヴィルヘルム Hermann Wilhelm (1893–1946)パイロット・政治家・暗黒ト●ロ
○最初の妻カリン・フライフラウ・フォン・カンツォウ
Carin Axelina Hulda Freifrau von Kantzow(1888-1931)
※旧姓フォン・フォック(von Fock)。
スウェーデン陸軍大尉ニルス・グスタフ・フォン・カンツォウ男爵(Nils Gustav von Kantzow)と
結婚、息子トーマス(Thomas)がいたが、1922年12月離婚。
○2番目の妻エマ・ヨハンナ・ヘニー・ゾンネマン Emmy Göring(1893-1973)女優
・娘エッダ Edda Göring(1938-)
●アルベルト・ギュンター Albert Günter(1895–1966)実業家・反ナチ活動家
○最初の妻マリア・フォン・アモン Maria von Ammon
※1921年3月16日結婚。(その後離婚)
○2番目の妻エルネスティーネ・ブーフマイヤー Ernestine Mathilde Emma Buchlmeyer(1886-?)
※1923年10月2日結婚。
アルベルトさんは1895年3月9日ベルリンの郊外フリーデナウ地区(Friedenau)に誕生。ドイツ領南西アフリカ(現ナミビア)とハイチの国家弁務官ハインリッヒ・エルンストと再婚相手フランツィスカとの五番目の子でした。
しかし、アルベルトさんの出生前に数年間、母フランツィスカが不倫に陥っています。それで、多くの人がヘルマンとアルベルトさんが不倫相手の子供だと噂しました。もし、これが本当だったら父方にユダヤ系の祖先を持っていたことになるらしいです。
戦時中、アルベルトさんは反体制派が脱出できるよう、通行書に兄の署名を偽造しました。彼がチェコスロバキアのシュコダ財閥(Škoda Works)で輸出監督官になってから反ナチ活動を強化していきます。ここで彼は小規模な破壊活動を奨励し、現地の抵抗者と接触していました。
戦後はニュルンベルク裁判で尋問されますが、アルベルトさんの助けた多くの人々が証言してくれたので釈放されました。その後すぐにチェコ人に逮捕されましたが、彼の活動の全容が明らかになってくると再び解放されます。
アルベルトさんは大戦中にユダヤ人を支援し、ドイツで生き残った反体制派として、ヤド・ヴァシェム記念碑にその名が刻まれました。そのきっかけとなった本がこの「Thirty Four by William Hastings Burke」です。
―Review: Thirty Four
―アルベルトさんを取り上げたブログ
【他の親族】
ハンス=ヨアヒム・ゲーリング中尉 Hans-Joachim Göring
第76駆逐航空団第9中隊(9 staffel ZG76)所属。1940年当時はMe110のパイロット。ヴェルヌで第87飛行隊(RAF 87 Squadron 11.7.40)によって撃墜され、戦死したらしい。
こちらのサッカー選手とは別人のようだけど?
ヴェルナー・G・ゲーリング大尉 Werner G. Goering
アメリカ生まれのイギリス空軍(RAF)爆撃機指揮官。
甥というのは本当らしい。彼はヘルマンやアルベルトさんの従兄弟カール・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ゲーリングの息子でした。カールさんは1931年あるいは1935年(日付は全く不明)にアメリカへ渡っていたらしいです。これはオハイオ州の採石場で働いていた時の写真だそうですよ。
実際、年老いたヴェルナーさんの顔立ちはヘルマンに似ていました。若ヴェルナーさん、イケメンですね。
ヘルベルト・ルートヴィヒ・ヴィルヘルム・ゲーリングSS中佐
Herbert Ludwig Wilhelm Göring (1889-1945)
ヘルマン、アルベルトさんの従兄弟。NS党員で親衛隊全国指導者友の会(Freundeskreis Reichsführer-SS)に所属していた。
マティアス・ハインリッヒ・ゲーリング Matthias Heinrich Göring(1879-1945)医師、心理士
ヘルマン、アルベルトさんの従兄弟。強制不妊治療を行ったとも。ソ連陣営の軍事病院(ポズナン)にて赤痢で亡くなる。
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