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Apr 28, 2011

(歴史メモ) リッタークロイツの兄弟・いとこ・親子たちメモ

歴史アーカイブとして、騎士鉄十字章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes)を親類で受賞している人たちのリストを和訳してみました。


ボルヒャース兄弟(Borchers Brothers)

●ヘルマン親衛隊少佐(Hermann
第9SS装甲師団ホーエンシュタウフェン。他に1級・2級鉄十字章、戦車突撃章、剣付2級戦功十字章、古参闘士栄誉章(Ehrenwinkel der Alten Kämpfer)受章。
●アドルフ少佐(Adolf
ルフトバッフェ(ドイツ空軍)エースパイロット。他に1級・2級鉄十字章、ドイツ十字章、航空戦特別戦績名誉杯(Ehrenpokal für besondere Leistung im Luftkrieg(デンマーク版wikiより)
●ヴァルター中佐(Walter
ルフトバッフェ夜間戦闘機エースパイロット。他に1級・2級鉄十字章受章。1945年3月6日戦死。


フォン・ベーゼラーガー男爵兄弟(Freiherr von Boeselager)

●ゲオルク(Georg
柏葉付騎士鉄十字(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub)。他に1級・2級鉄十字章受章。フォン・トレスコウ、フォン・クルーゲ等がきっかけで「1944年7月20日事件」に関与。計画失敗後は前線に戻り、戦死。
●フィリップ(Philipp
他に他に1級・2級鉄十字章、東部戦線従軍記章(Winterschlacht Im Osten)、戦傷章銀章、一般突撃章、白兵戦章銅章、陸軍名鑑章(Ehrenblatt des Deutschen Heeres)、ドイツ連邦共和国功労勲章、レジオンドヌール勲章受章。「7月20日事件」最後の生存者。「Der letzte Zeuge des 20. Juli 1944(1944年7月20日事件最後の証人)」という本が出版されている。


フォン・ボーニン兄弟(von Bonin)

●フーベルトゥス中佐(Hubertus
ルフトバッフェ(ドイツ空軍)エースパイロット。他に1級・2級鉄十字章、ドイツ十字章、剣付金色スペイン十字章受章。1943年12月15日戦死。
●エッカート=ヴィルヘルム中佐(Eckart-Wilhelm
ルフトバッフェ夜間戦闘機エースパイロット。他に1級・2級鉄十字章、ドイツ十字章受章。
※2人にはユルゲン=オスカー(Jürgen-Oska)という兄弟がいましたが(受章者ではない)輸送部隊の観測員に就いていた時に戦死しました。


フォン・デア・シュヴァルリー兄弟(von der Chevallerie)
フォン・デア・シュヴァルリー家はユグノーの子孫なのだそうです。

●クルト歩兵大将(Kurt
柏葉付騎士十字章。他に1級・2級鉄十字章(1914)、名誉十字章、1938年10月1日記章(Medaille zur Erinnerung an den 1. Oktober 1938)、1級・2級鉄十字章(1939)、戦傷章黒章、イタリア王国(王冠)勲章(Ordine della Corona d'Italia)、東部戦線従軍記章、ドイツ十字章受章。
●ヘルムート歩兵大将(Hellmut
1945年4月18日にコルベルク(Kolberg)近郊で姿を消す。
コルベルクといえば、1945年(!!)にゲッペルスが作らせた「Kolberg」というプロパガンダ映画があります。


フェーゲライン兄弟(Fegelein)
そして、ここから勲章書くのが面倒くさくなってきた...時間があれば追加します。

●ヘルマン親衛隊大将(Hermann
柏葉剣付騎士十字章。エーファ・ブラウンの妹の旦那ですが、総統地下壕から無断で出歩き、出頭命令を無視して愛人宅にいるところを逮捕されて処刑される。そのくだりは映画「Der Untergang」でありましたが、ミシュさんによれば「処刑はヘーグルらによる独断だった」らしいです。真相は?
●ヴァルデマール予備役親衛隊大佐(Waldemar
ヘルマンの弟。1920年代の世界恐慌の中で、彼のお父さんはミュンヘンで乗馬学校を経営。そんな環境もあって、兄弟とも馬術に優れていたようです。戦前、SSVTに志願。大戦中の1943年12月に第2SS騎兵連隊を統率し、騎士鉄十字を授与されました。彼は大戦を生き抜き、戦後は名前をAxel Fegeleinに変えました。2000年11月20日に死去。


フェルチュ兄弟(Foertsch)

●フリードリヒ大将(Friedrich
レニングラード戦のリーダーシップが認められ、1944年9月5日に騎士鉄十字章を授与されました。戦後は裁判で死刑を宣告されますが、コンラート・アデナウアー首相の介入で解放され、ドイツ連邦共和国の新しい軍隊に入ったのでした。1963年に引退。1976年12月14日死去。
●ヘルマン歩兵大将(Hermann
他にホーエンツォレルン家勲章も受章。歩兵科出身。彼もまた、リーダーシップが認められて騎士鉄十字章を受章しています。1945年、アメリカ軍のジェイコブ・ディバーズ指揮下の部隊に降伏し、裁判にかけられますが無罪になっています。


フレッター=ピコ兄弟(Fretter-Pico)

●マクシミリアン砲兵大将(Maximilian)
柏葉剣付騎士十字章受章。戦間期、ナチス党政権になった時点で大佐に昇進したので軍に残りました。1938年、彼は武官としてトルコに送られましたが、ヨーロッパ戦線が始まりドイツに呼び戻されました。しかし、ポーランド戦とフランス戦には主立って参加していないらしいです。1941年3月、少将に昇進。バルバロッサ作戦開始時は南方軍集団の第97猟兵部隊を指揮。ウクライナのセヴァストポリの戦いに参加して第30軍団の指揮権を与えられます。しかし、彼は想像力に欠ける将軍として知られており、彼の指揮官エーリッヒ・フォン・マンシュタインはセヴァストポリ戦の間、彼を信頼していませんでした。信用してもらおうと色々励みますが、多くの犠牲者を出してしまい、断片的なやり方がマンシュタインの顰蹙(ひんしゅく)を買いました。彼は第6軍とハンガリーの第2軍を率いていて、部隊はフレッター・ピコ軍集団と呼ばれたそうです。1944年10月、デブレツェンの戦いで、ソ連の戦車師団を3個壊滅させます。1945年4月22日、アメリカ軍隊に捕らえられ、1947年まで服役していました。バイエルン州で他界。
●オットー中将(Otto)
勇敢な騎士鉄十字章受章者。ポーランド、フランス、バルバロッサ、スターリングラード、クルスク、ドラクーン、イタリア戦線に参加。1945年4月28日、ブラジル軍に降伏し、1948年まで収監。

続く。。。??



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