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Apr 18, 2012

From my grandpa's album 祖父のアルバムから 2

Hello all, (English)


The big holiday will come to Japan on next week. After 2 years I'll back to my hometown, but I can't get ready to trip yet! The departure is 1 week later... Oops!
By the way, I've scanned my grandfather's old album photos yesterday. his wife (means my grandmother) already says me many times,
"please bring back to his album soon".
"Oh...yes, yes, of course!"
So I did it ... finally. Though this clean up has just begun...Anyway,


He looks gallant in his uniform! we can see some medals and insignia.
凛々しいです!メダルを身に着けられていましたので気になりました。 (Photo A)

When I looked at the album, I did interested in this photo. This is it. Probably he is my grandfather's cousin or a younger brother, but there is no information. I don't know enough the Japanese combat uniform, and so I didn't know how I search it.

So, my follower friend Hime san told me some infos about his position from his clothes and medals. He is an artist (his works are so cute) and also clothing historian about Imperial Japanese uniform.
Really thank you so much!!

(Photo B)


From left (Photo B):
Orders of the Sacred Treasure 6th class 勲六等瑞宝章 (Photo)
It was created on January 4, 1888 (Meiji era). There were from the 1st to the eighth class. Men and women can be awarded. The award winner engaged in government affairs and public duties for many years and repeated the service, and gave results.

6th class winner's basis:
*The prize winner worked as the mayor of the city a population of 250,000 and heads of towns and villages, and there were results.
*The prize winner had results in great of the Metropolitan, Hokkaido, or Prefectural Assembly and city and district Town and Village Assembly consular-ship.
*The prize winner had important performance to the contents of the job duties.

1937-45 China Incident War Medal 支那事変従軍記章 (Photo)
It was created by Imperial Edit No. 496 on July 27, 1939. A person who was joined to China Incident War can get this medal. It includes the non combatant.

Japanese Red Cross Special Staff Medal 日赤特別社員章 (Photo)
It was created in 1887. There were the silver of the 2nd class and the gold of the 1st class. The person except medical relations was able to be get with it, too.

It's force patch. he worked in koriyama(Fukushima) force (in air force)! (Photo C)

Collar patches...was he first lieutenant? (Photo D)

In last month, I've took this photo in Battleship Mikasa...Is this useful? oh, but these were shoulder strap.(Photo E)

His branch of service was an air force command "東部(軍)第111部隊(Eastern army 111th force)" and he was an army surgeon. The forerunner was a former airport battalion. This moved to Koriyama, Fukushima from Iwanuma, Miyagi.

First, the pilots cadet had only able to put this, but in May 9 1944, it was amended and that is wearing (including techniques such as Coastal Engineering Department officers and men soldiers and maintenance) all officers and men belonging to the aviation-related occupations. The 6th flight division was dissolved in August 31 1944, and some soldiers were adding to this military unit.

Hime san asked me whether he was working at the medical force or not. And so I remembered what I've forgotten. Yes, my grandmother said that,


"Once, we included the family of the doctors. He had worked in India as a doctor and had examine your (is me) eyes before."

1 old photograph was full of much information. Whether he was this man or not, really my family had some doctor or medical person. I'm very surprised and am touched by this piece of family history.
 
 
 
みなさま、こんにちは。(日本語

 もうすぐGWですね。。。2年ぶりに故郷へ帰るのに何にもやってない! 前々から、お祖母さんに「おじいちゃんのアルバム返してね」と言われていたので、昨日ようやく、すべてのページをスキャニングしました。クリーンアップはこれからなのですが。

 そんなことを呟いたらドイツのお友達が「古い写真見たい!」と仰ってくれましたので、数枚の写真をリンクで送ったところ「彼の勲章は何? どういう人なの?」ときかれました。
※そういう訳で、2か国語でお送りしております(^^;)

 それがこの彼(Photo A)。祖父の従兄弟か弟じゃないかなと思うくらい、情報は何もない。ええ、確かに日本人ですとも...が、しかし!私もついさっきスキャンしたばかりですし、日本の軍装は全く分からないのでとっかかろうにもとっかかれず......。

 そんな時、日ごろからお世話になっているHさんが詳しく教えて下さいました。Hさんは可愛らしい女の子の絵を描かれますし、確かな軍装の知識をお持ちですし、その領域へのストイックな姿勢に感心するばかり。ありがとうございます(*^-^*)!


左から:(Photo B
瑞宝章 Orders of the Sacred Treasure
1888(明治21)年1月4日制定
「古代の宝の宝鏡を16個の連珠が取り囲んでいる」
勲一等~勲八等までの8等級があって、男女ともに受章対象。男女で綬の形が違う。

叙勲基準
■長年にわたり公務や公共的な業務に従事して功労を積み重ね、成績を挙げた者。

勲六等の基準には
■人口25万未満の市の市長及び町村長の職にあって成績があった者。
■都道府県議会議員及び市区町村議会議員の職にあって成績があった者。
■前各号以外の者であって、職務の内容が重要と認められる職にあり、成績があった者。
そして、「栄典制度の在り方~」さまの情報によりますと、
■次の各号の一に該当する者で、国家又は公共に対し、功労のある者。

1. 学術、芸術等の分野
2. 新聞、その他報道業務
3. 学校教育又は社会教育
4. 社会福祉事業、又は納税に尽力
5. 発明発見、その他の創意工夫により、公衆の福祉の増進に寄与
6. 治山治水事業、砂防事業、土地改良事業等公共工事に従事
7. 地方鉄道事業、軌道事業、海上運送事業、道路運送事業、航空運送事業、電気事業、
  ガス事業等公共的事業に従事
8. 医師、薬剤師等の業務に従事
9. 弁護士、弁理士、公認会計士等公共的業務に従事
10. 調停委員、人権擁護委員、民生委員等の職務に従事
11. 農業、林業、畜産業、水産業、商業、工業、鉱業、貿易、銀行業、保険業、信託業、
  倉庫業、建設業、観光事業等の業務に従事
12. 労働界において経済の興隆と国民生活の安定に寄与
13. 体育界において業績を挙げ又は体育の振興に寄与
14. 前各号に掲げる以外の者であって、公益に寄与した者

......だそうです!(棒読みスミマセン 汗)


支那事変従軍記章 1937-45 China Incident War Medal (Photo)
1939(昭和14)年7月27日制定
■日中戦争に参加、又は従軍した者、並びにその要務に関係した者

宣戦布告がなかった場合、事変なのですね。この従軍記章は戦後失効との事。ただ、この○○事変という名称で習った記憶がない、と思ったら「戦後の学校教育で昭和50年代より日中戦争という呼称が広まる」という情報を見つけました。正にその年代なので、なるほどなと思いました。
逆に「●な」というのは「じ●っぷ」と同じニュアンスだから使っちゃいかんと教えられた気がする。なので、未だに言わないようにしているという......


日赤特別社員章 Japanese Red Cross Special Staff Medal (情報)
1887(明治20)年制定
金色特別社員、銀色特別社員の二等級(社員として日本赤十字社に納入する社資の総額による)

■日本赤十字社をはじめ世界各国の赤十字社では、社員を募り、一定の要件を満たした者。
■看護及び救助の功労、赤十字への貢献による功労、社資による功労によるもの。特別社員称号を贈呈された者には特別社員章が贈られる。
※Hさんより「赤十字は医療関係以外でも沢山付けていました」とのことでした。そうでしたか~


Photo C
Hさんによりますと
「航空胸章『東111』の徽章から、福島県郡山へ移った東部第111部隊(航空関係部隊)の所属と推測されます」
「徽章類から昭和19年(1944年)以後と思われますが、医療関係と踏んだのは胸に兵科胸章があったからなんです。 19年以後ですと技術や衛生の各部のみが付けていましたので」
とのことで、加えて「旧飛行場大隊が前身だったかもしれない」という情報を頂きました。
おお!なんだか、興奮して参りました。

Photo D
襟章はこちら様を拝見してみたのですけど。。。中尉さん(98式中尉襟章)?いやあの、士官でも兵でもどちらでも良くてよ。一見そうみえたのですが、どうなんでしょう??
Photo E
関係ないと思いますが、三笠で撮ってきた肩章の写真を添えておきます。

Hさんより、この方は医療関係に従事していたのでしょうかとたずねられたのですが、祖母が話していたことをすっかり忘れていました。
うちは元々医者の家系で、○○ちゃんはお医者さんとしてインドへ行っていたことがあり、あなた(私)の目を診てもらったこともあるよ

1枚の古写真には色んな思い出や情報が詰まっているのだなぁと、あらためて胸がアツくなります。そのインド行きのお医者さんとこの青年が同一人物だったら本当に凄い。今度、帰った時に尋ねてみようと思います。



参考にさせて頂きました Informations. Many thanks!

参考:勲章の種類(瑞宝章)- 内閣府 さま
参考:栄典制度の在り方に関する論点の整理 - 内閣府 さま
参考:中野文庫 - 記章 さま
徳永古美堂(旧日本軍軍装品情報トップページ) さま
WWII-HATTORI-SEIKOSHA-IMPERIAL-JAPAN-MILITARY-WATCH-BOX さま


【お知らせ】

伝三三七七さんの「ふくしまの戦争資料室」に私の大叔父(当時軍医中尉)の写真を掲載して頂きました。戦中の軍装等、色々な発見があり興味深いです。

東部第111部隊(岩沼~郡山)



※後ほど、加筆する箇所が出てくるかもしれませんが一通りまとめました~
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2 comments:

  1. はじめまして。福島県内の戦争資料について調べている者です。東部111部隊所属の方の軍装は初めて拝見いたしました。貴重な資料かと思いますので、もし宜しければ画像を私のブログに使用させて頂けないでしょうか?何卒、宜しくお願いいたします。

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    Replies
    1. 伝三三七七 さま

      初めまして。ブログ管理人のさかきと申します。この度はコメントありがとうございます。福島県の戦史を研究されているとの事で非常に興味深いです。実はこちらの軍装を調べる際、軍装に詳しい福島県の知人から助言を頂いたところ、この親戚が福島へ赴いていたことが分かったという経緯がありました。画像をご使用頂く際にはソース元としてこちらのページ情報を提示して頂ければ大変嬉しいです。(親類の写真なもので)又、ぜひ伝三三七七さまのブログをお知らせ下さい。どうぞ宜しくお願い致します。

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