Jun 14, 2012

ヴィットマンの戦死をめぐるお話

今年は1944年6月13日のヴィレル・ボカージュから68年目にあたります。70年目(2014)には恐らく、記念式典が開かれるのでしょうね。(連合国のことですから 汗)

ヴィットマンを戦死させたのは英軍の元砲手ジョー・エキンズ氏とついこの間認定されましたね。「半世紀以上にわたり続いてきた謎が終結 - 地味な英国のおじいちゃんは恐ろしいドイツの戦車エース“黒男爵(Black Baron)”を殺したと信じています」という、2010年5月14日(金)の記事からご紹介します。


退役したジョー・エキンズ(86)がナチスドイツの最も恐れられている戦車エース、ミヒャエル・ヴィットマンの恐怖政治を終わらせ、致命的な発砲をしたことを証明する新しい証拠が明らかになりました。

カナダ軍、ポーランド軍、英空軍(RAF)が戦利品に対する称賛を各自要求したあと、歴史家は誰が黒男爵を殺したかについて、何十年も議論してきました。
(scalp=戦利品、頭皮をはぐ、の意味があります。アパッチ族に由来するらしいですが。イングロリアスバスターズでやっていたアレか……)

大戦中、138輌の連合国戦車を撃破し、132丁の対戦車銃を破壊した後、アドルフ・ヒットラーのドイツにおけるナチの戦争の英雄として男爵の名前はよく知られていました。2つのラッシュから、ラッシュデン(英ノーサンプトンシャー)に住むこのおじいちゃんは66年前に戦場で3度の砲撃を発射し、男爵の戦車を吹き飛ばした真の英雄として示されています。
第1ノーザンプトンシャー・ヨーマンリー連隊(1st Northamptonshire Yeomanry)の英雄・砲手エキンズ氏は「死ぬに値する」と30才の男爵に関する追加文書の証拠を歓迎しました。

「パンツァーエースの死」― 戦史テレビ(Battlefield History TV)の歴史家はヴィットマン対エキンズを研究して2年間を過ごしました。
彼らは、エキンズ氏が黒男爵とナチスのティーガー戦車を撃破できた砲を唯一装備していた英国戦車の、たった一人の砲手であったということを証明しました。その戦車が射程圏外にあったということを証明するカナダ軍の物語をドキュメンタリーはけなしました。エキンズ氏は映画が長年の議論と推測を終わらせることを望むと言いました。

エキンズ氏
「戦場では、本当に100%分かることなど誰にもありえません。しかし、大部分の歴史家は現在、それが私であったとかなり確信しているようです。ナチスがヨーロッパの全域でしていた酷いことを見たので、17才であった私は戦うと志願しました。ナチスを支えた、あるいは、傍観して見ていた誰もが犯罪者だったと私は未だ信じています。
 毎日、この黒騎士は人殺しに来て、誰かを撃った時に砲に丸を付けました。彼が私に向かって来た時、私は彼の評判を知りませんでした。私は後悔していません。彼は死んで当然でした。私は嬉しかったです」

連合軍はナチスドイツの黒騎士の悪評について無知であったとエキンズ前隊員は言いました。戦争終結後、歴史家が男爵の人生をつなぎ合わせることを始めて、およそ10年になっていました。

死の前週、ヴィットマンは単独で英軍第7機甲師団を攻撃、たった15分で14輌の戦車、15台の兵員輸送車、2丁の対戦車銃を破壊しました。しかし、1944年8月8日正確にフランス北部の戦場で彼のティーガー戦車を爆破した人のことは論議されていました。
ドイツ軍が待ち伏せした時、エキンズ氏は3輌の英国のシャーマン戦車といました。彼は黒騎士の優れたティーガーに対し、訓練を受けた視力で1輌のタンクを一撃で破壊しました。エキンズ氏は以下のように述べました。

「私が彼に発砲したように、彼は私に向かって真っ直ぐに来ました。そして、戦車は最初の砲撃で爆発しました。それから、私は彼を仕留める為に、もう2発砲しました。その時それがヴィットマンであったと、私は戦後何年も知りませんでした」

 12分間続いた銃撃戦において、エキンズ氏は彼のシャーマン・ファイアフライ戦車のたった5発で3つの目標を撃破しました。

戦後、カナダ第4機甲師団は恐れられていた男爵を殺したと主張しました。歴史家がさらに深く掘り下げたので、第1ポーランド機甲師団、王立装甲軍団第144連隊も死の称賛を得ようとしました。ヴィットマンの戦車に送られた燃えさかる弾は第2戦術航空軍 (RAF Second Tactical Air Force) のホーカーハリケーンから発射されたロケットだったと、英空軍さえも主張行為に加わりました。
エキンズ氏の銃撃戦の数時間前にカナダ軍の戦車が黒男爵を待伏せて命を奪ったと、カナダのドキュメンタリー(それはその後、評判を落しました)は報告しました。

また、エキンズ氏は以下のように述べました。
「それはカナダ人のための、そして、カナダ人に関するカナダ人資金による映画でした。そう、もちろん、彼らは自分の手柄にしたかったのでしょう。私は起こったこと全てを覚えています。時に、私たちが何をしたか信じることは難しく思えます。私はこれらの映画が持つ唯一の目的は、ひどい戦争が実際にどのように起きたかを人々に伝えることだと思います。それは栄光ではありません。しかし、私は後悔していません」

木曜日、ノーサンプトンで、テレビ「戦場の歴史」のトーマス・ドーマーはアビントンパーク博物館で映画を発表し、彼は以下のように述べました。
「映画を製作するのに十分な事実を得るために、我々は2年の研究を必要としました。ジョーは驚異的な場所にいて、驚異的なことをした普通の人です」
(記事:en


連合軍の間でヴィットマンには黒男爵と言う渾名が付けられていました。文面でナチナチ言っていますが、接近戦を繰り広げた元敵のことですので仕方ないですね。互いに敵として命を懸けて戦うとはこういうことなのでしょう。単に善悪で区別できるものではないというか…… 記事によると、これはドキュメンタリーになる(なった)みたいです。氏は「長年の議論と推測が収束することを望む」と言っています。

WITTMANN V EKINS: The Death of a Panzer Ace by Tom Dormer

Fields of Fire: The Canadians in Normandy (Joanne Goodman Lectures)

ジョーおじいちゃん説に対し「カナダ第2機甲旅団シャーブルック・フュージリア連隊シドニー・ウォルターズ(Sydney Valpy "Rad" Radley-Walters)のファイアフライに撃破された説が有力」との情報もありました。(2012/6/15)

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