Showing posts with label Abwehr. Show all posts
Showing posts with label Abwehr. Show all posts

Oct 22, 2012

ポーランド発伝説のWWIIドイツスパイドラマ、Stawka większa niż życie

Hi all,

When I searched something historical info, I found this movie trailer.
I'm interested in this Polish drama "Stawka większa niż życie(命よりも大きな賭け金)".
English says, "More Than Life at Stake, Stakes Larger Than Life or Playing for High Stakes(命の額以上、命より大金、または重賞のために遊ぶ)".




Poland has made German army drama? but main cast seems polish agent against WWII german army. This drama series is the Legend TV series by Hermann Brunner and Hans Kloss, and was filmed from March 1967 to October 1968. There were all 18 episodes. Tomasz Kot plays Hans Kloss, and Piotr Adamczyk plays Hermann Brunner on new film. Hans Kloss acted as a double agent in the Abwehr during WWII in occupied Poland.  (his real name was Stanisław Kolicki, and codename J-23). And I heard Polish general Artur Jastrzębski may a model of Hans Kloss. This is a fiction story, but it's really attractive!

Information: 2012.09.09
Information: 2012.3.13

     ドラマシリーズのパッケージがそそられます!

主人公ハンス・クロスと相棒ヘルマン・ブルンナーはドイツ占領下のポーランドでアプヴェーア(ドイツ国防軍情報部)のエージェントとしても活動していた二重スパイという設定。何とも魅力的!60年代のドラマシリーズは特に旧チェコスロバキアで人気を博したとの事。本国では公開済みのようです。映画の評価が五分五分っぽいのはやはり、往年のTVドラマが人気だった証拠かもね。




I'd like to watch both drama!! Is it difficult to make the Japanese subtitle version?

Nov 26, 2011

まやかしの頃のオランダとフェンロー事件周辺を何となく


My Dutch friend gave this newspaper "Algemeen Handesblad"to me. Thank you!

1940年5月11日(土)オランダの新聞「Algemeen Handesblad」より。「我々に対空準備ができていることを示す」の見出しがあります。しかし、数日後には。。。
(上の古新聞の一部はオランダ人の友人Mから頂きました)

Jul 20, 2011

エルヴィン・ラホウゼン氏の本より(7月20日事件周辺)

On 20 July 1944, "Operation Walküre (Valkyrie)" which was the plot to kill Hitler was acted by the German Anti-Nazi group.

今日は7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件があった日です。ゲオルク・フォン・ベーゼラーガー騎兵中佐(死後、柏葉付騎士鉄十字章を受賞し大佐に昇進)は騎士鉄十字章メモのところで少し触れましたね。
ヘタな翻訳で申し訳ないのですが、追悼記念としてこの頃のラホウゼンさんの様子をご紹介したいと思います。そして、おやすみなさい at 2:00am...笑

(追記 7/20PM)
1943年3月13日、ラホウゼンさんは会議の為にAbwehrから東部戦線へ派遣されていました。そのスモレンスクの中央軍集団で、ラホウゼンさんはトレスコウ(Henning von Tresckow)さん、シュラーブレンドルフ(Fabian von Schlabrendorff)さん等とヒトラーの搭乗機に爆弾を仕掛ける「火花作戦」(手土産にもたせた酒のケースに爆弾が仕掛けてあった)を実行しますが、爆弾が作動せずに未遂に終わります。ワルキューレ作戦の映画(トムのとゼバスティアンの)にもちょこっと登場していましたね。この年にはピウス12世誘拐計画もありました。

「火花作戦」が立案されたのは1940年で、ラホウゼンさん、トレスコウさん、彼の副官シュラーブレンドルフさんの他にベック(Ludwig Beck)さん、ゲルスドルフ男爵、デム・ブッシェ男爵(Axel von dem Bussche)、ブライテンブッフ(Eberhard von Breitenbuch)さん、ヴィッツレーベン(Erwin von Witzleben)さん、 クルーゲ(Günther von Kluge)さん、シュレーダー(Werner Schrader)さんが参加していました。

同年8月、ラホウゼンさんは正式に第Ⅱ課をヴェッセル・フォン・フライターク=ローリングホーフェン男爵へと引き継ぎAbwehrを去りました。後にフライターク=ローリングホーフェン男爵は暗殺計画関与を暴かれて7月26日に処刑されましたが、ラホウゼンさんは暗殺計画メンバーの数少ない生き残りとなりました。
ラホウゼンさん、爆破作戦の前日に自らも爆弾で重傷を負い、関与していたことを見過ごされたんです。大怪我の功名というか、自ら実験台のようになったというか...ドイツ語と英語の書籍なのでまだ全然読めてませんが、そのうち別のエピソードもゆーっくりご紹介したいと思います。

Jun 23, 2011

ヒットラーによるピウス12世誘拐計画「ラバト作戦」について

 皆さま、こんにちは。梅雨本番の近頃、本当に暑いですね。

 さて、大戦時にヒットラーが法王ピウス12世を誘拐する計画をしていたというニュースがあったのですが、今回はCatholic Answers Forumsからこれに関する2004年の記事をご紹介したいと思います。

 ……で、どうしてこの記事に辿り着いたかと言いますと、私のWWII物語にも登場する(して頂いている 汗)エルヴィン・ラホウゼンさんの戦争日記(=戦時の作戦を記録したもの)について調べていたら7月20日事件に引っかかり、そこにこういう記述があったからです。
「その証拠は、ピウス12世を誘拐または殺そうとするヒトラーの裏をかくため、7月20日事件の共謀者ヴェッセル・フライターク・フォン・ローリングホーフェン大佐、ラホウゼン大佐、ヴィルヘルム・カナリス提督が1943年7月29日にヴェネツィアへ向かい、イタリアの情報将校チェーザレ・アメ将軍(伊情報部の長)に陰謀を報告したことに関与していることを示すものである」

追加: 6/23 pm)↑と書いてあることは殆ど同じですが、別の情報もご紹介。
 ラホウゼンさんは、1946年2月1日のニュルンベルク裁判の供述書(Warnreise Testimony 1330-1430)で「ヒットラーはピウス12世やイタリア国王を誘拐あるいは殺害することでイタリア人を罰する計画を立てるよう、国家保安本部に命令していた」と述べています。
 しかし、ラホウゼンさんは「ドイツの対諜報作戦を聞いたカナリス提督が、1943年7月29~30日のヴェネツィアの密会中に、同業者であったイタリアの情報将校チェーザレ・アメ将軍へこれを知らせた。ラホウゼンさん、ヴェッセル・フライターク・フォン・ローリングホーフェン大佐も出席した会議だった。アメはどうやらそのニュースを広めたらしく、計画は打ち切られた」と語りました。
ここまでが追加分

 今見かけたのですが、これはWikiのローリングホーフェンさんのページにも書かれていますね。これによりますとローリングホーフェンさんがAbwehrに入ったのは、
「1942年始めに保安警察と対立し、ウクライナの親衛隊高官に目を付けられたが、1943年にカナリスの国防軍情報部(Abwehr)に配属されることで親衛隊による捜査を免れた。参謀大佐として第Ⅱ課で破壊活動を担当した」
 という経緯があったからだそうです。その第Ⅱ課の長がご存じラホウゼンさん。つまり、ローリングホーフェンさんはラホウゼンさんの部下(ランクが同じなので相棒みたいな感じ?)です。

 彼らは皆、反ナチ派でクラウス・フォン・シュタウフェンベルク伯爵とともに、ヒットラー暗殺計画に関与していました。
 7月26日、ゲシュタポに計画への関与をつかまれたローリングホーフェンさんは逮捕される直前に自殺。カナリス提督は逮捕され、酷い拷問の後、連合軍が数日で到着するという頃に処刑されました。

 Abwehr高官の生き残り、ラホウゼンさんは1943年秋にAbwehrから東部戦線へ移動させられ、スモレンスク計画(1943年3月13日の火花作戦)で使われる爆弾を供給し、マンシュタインの副官シュタールベルクの従兄弟ヘニング・フォン・トレスコウや、彼の副官で7月20日の生き残りファビアン・フォン・シュラーブレンドルフらとヒットラーの搭乗する飛行機を狙いますが、あまりの寒さに爆発しなかった。
 そして、約1年後にあの暗殺未遂事件が起こりますが、前線で作戦行動中だったためか事件への関与は見過ごされました。カナリス提督と出会う前から一流の情報将校だったラホウゼンさんは、かなり慎重な人物だったのです。1944年7月19日、ラホウゼンさんは重砲によって重傷を負い、ドイツ十字章金章までもらっています。

 ラホウゼンさんは戦後、この件を含むナチス党の戦争犯罪に関する重要な証言者としてニュルンベルク裁判で証言しました。
追加: 6/23 pm
 アッベニーレ紙によれば、1972年のミュンヘンでヴェッセルの息子ニキ・フライターク・ローリングホーフェンさんはニュルンベルクにおけるラホウゼンの供述書に実質上、同様の説明をしたそうです。
ここまでが追加分

 その話はまた別の機会か物語の中でするとして、今回はピウス12世誘拐計画に話しを戻しましょう。つたない翻訳です、ご了承くださいませ。

May 20, 2011