皆さま、こんにちは。
Twitterで彼の名前が挙がっていたし、「アフリカの星」「カナリス」を撮った方なので調べてみました。ヴァイデンマン監督です。翻訳はアバウトなのでその辺ご了承を。フィルモグラフィは省略しました。
1918年ヴァイデンマン監督は実業家の息子として誕生。実科学校(Realgymnasiums)に出席した後、美術アカデミーで絵画を学び、写真家やグラフィックデザイナーとして働いていました。
1934年に入党し(№3456764)HJへ。彼は最初、新聞と宣伝(Propaganda)係になって、その後、それから映画部門のためにヴュルテンベルク州でHJ宣伝部長になりました。
1936年に最初の本「第2青年小隊(Jungzug2)」を書き(HJの物語)、そして、 1939年「ドイツ青年戦争文庫(Kriegsbucherei der deutschen Jugend)」を率いました。
ドイツ青年戦争文庫は、ベルリンのシュタイニガー出版社(Steiniger-Verlagen)で1939-1945年毎週発行されていたドイツの雑誌小説シリーズでした。全国青少年指導者バルトゥール・フォン・シーラッハが出版の指示をしたそうです。ちなみに、弁護士・小説家のフェルディナント・フォン・シーラッハは彼の孫だそうですよ。
1938年から1940年までに彼は若い作家として急成長し、少年図書出版シリーズ13巻で引き継ぎを行いました。HJ海洋部門によって開始された1939年の小説「Jakko」は1941年に撮影されました。
1940年フランス、ロシアへの侵攻作戦中に従軍しなければなりませんでしたが、その後、解放されました。
1942年、彼は製作者あるいは監督として、HJ青年欧州映画館(die HJ-Filmschau Junges Europa)を引き継ぎました。またシーラッハの「映画」部長でもありました。その同じ年、彼は劇映画監督としてデビューしました。
赤軍がベルリンに進軍したとき、彼はロシアの捕虜になりました。ソ連占領区域では彼の作品のいくつかが禁止文献リストに入っていました。
収容所から釈放された後、彼は子供向けの本を書くことから始めました。1945年以前、既に殆どの著作を公開していたロエベ出版に彼は登場しました。
・オタマジャクシ(Kaulquappe)
・新聞少年のボス(Boss der Zeitungsjungen)
・続オタマジャクシ(die Fortsetzung Kaulquappe)
・偽造者と手荷物検査666(die Falschmünzer sowie Gepäckschein 666)
手荷物検査666(Gepäckschein 666)はテオ・メッツァーによって1961年に撮影されました。また、1986年6巻で構成された本のシリーズ「荒野の7人(Die glorreichen 7)」で絶大な人気を得ました。(映画「荒野の7人」のページに同名の子どもの本のシリーズもあります、とある)
1953年以来、映画監督として3つの文化的映画を撮影し、ドイツ映画賞を受賞したこともあり、彼は自由を手に入れました。文化映画に加えて、たとえば「カナリス(1954)」といった長編映画に再び専念しました。さらに、彼は犯罪映画で方向性を示し、そこで著名なドイツ人俳優や女優のために娯楽映画を撮影しました。 一例としてはロミー・シュナイダーの「スカンポロScampolo(1957)」があります。
とりわけ1970年代、映画監督業は忙しくなり、コミッショナーのデリック、リリー・パルマー(Lilli Palmer)、マルティン・ヘルト(Martin Held)とともにテレビスペシャル「特殊班K1(Sonderdezernat K1)」に参加しました。1984年、彼はスイスに住居を移しました。そして、テレビ映画の準備中にチューリッヒで82歳で亡くなりました。彼の墓はシュトゥットガルトの森林墓地に位置しています。
(参考)
ドイツ青年戦争文庫
禁止文献リスト
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