只々、素晴らしい人生ドラマでした。
人物の心の動きが素晴らしかった。それぞれの波乱に満ちた物語と「偶然」の出会いは不思議なことだが本当にありそうだと思わせてくれます。末路の「皮肉」な部分も「そうそう、嫌なんだけどあるだろうな」と唸ってしまった。
ドイツの秀逸な戦争ドラマを見ると「こういう感覚は負けた国じゃないと分からないのではないか?」と、どうしても感じてしまう。よくある感想の様で申し訳ないが、絞り出すと結局そこへたどり着いてしまう。
こういった感覚を言葉にする、映像化する、音楽で表現する、香りで表現する、等々......
体験や感情を具体化し、表現することを試みたとしても、すんなりと「共感」を得ることは難しい。戦争だからといって、残虐性ばかりを描写すれば良いものでもない。全てを描き切れるわけがないし、描き切ったと思っても「そうではなかった」と反する声を上げる人もいる。
実際、ポーランド系のパルチザン=国内軍(Armia Krajowa)の描写が「正しくなかった」と批判されています。ユダヤ系人員はドイツ人に容易に認識できる(外見でなくともドイツから逃げてきたユダヤ系は義務付けられた身分証をもっていたことだし)という理由で、国内軍への参加を拒否されていました。この部分の説明が足りなかったのかもしれません。国内軍はユダヤ人が逃げられるよう支援も行っていたのに、あの描写ではまるで差別しているみたいだ、と捉えられなくもありません。但し、残念なことに「歴史的にロシアとユダヤの人々は昔から煙たがられる傾向がヨーロッパにはあった」と何人かのヨーロッパ人から聞いたこともあります。(彼らは差別しませんが)差別されるほうは嫌という程に「透明な壁」の存在を感じていたのだろうと思います。
実話ベースの話なので、劇中の国内軍の行いも「一部の」体験談に基づいているのだろうと推測されます。反論の声をあげた人々はそんな事があったなんて「知らない」「見たことがない」「聞いたことがない」ので「間違っている」と解釈したのだろう。
その件はある所では「無かった」のだろうし、ある所では「有った」。どれも「真実」なのだろう。
一部の行いを、全ての行いだと映画や噂は錯覚させてしまう時もあるから抗議したい気持ちも分かる。とはいえ、少なくとも私自身は「すべての国内軍がこうだった」とは思いませんでした。国内軍が皆こうだったとされたら、それはまるで「ドイツ軍は全員ナチだ」と言っているようなもの。もっといろんな人々の体験談が聞きたい、という思いが強くなりました。
戦争は様々な側面を持ちます。
物語を作り上げることは、本当に難しく感じます。無理かもしれない、と正直なところ感じております。しかし、
表現者は自分の全てを注いだら、ある程度のところで「人間の想像力」にゆだねなければならない。手を放したらもう、そこからは別の物語として其々の心の中で展開していくものなのだ。
心のどこかでそう言われているような気がしました。
P.S.
ところで、歌手グレタのモデルはだれだったんでしょうか? 私はあの曲調を聞くとMimi Thomaを連想します。
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