May 15, 2011

ヴァルター "グレ" ・エーザウ Walter "Gulle" Oesau


みなさま、こんにちは!
今朝知ったのですが、昨日はグレ(Gulle)こと、ルフトバッフェのエースパイロット、ヴァルター・エーザウの命日だったんですね。そこで、以前ウィキペディア(英)で彼のページを作り、彼の伝記の執筆に挑戦中の友人から教えてもらっていた情報をご紹介したいと思います。(つまり、twitterで紹介するには長すぎたので 汗)急いで書いたので、訳が間違ってたらごめんなさい(^^;)


 “グレ”ことヴァルター・エーザウは、1913年6月28日メルドルフでヴィープケWiebke(Maartens)とリヒャルト(Richard)との間に生まれました。彼には1916年頃に生まれた妹エリザベート(Elisabet)と(今のところ、記録は見つけていませんが)他の兄弟がいました。彼の父は銀行家であったので、かなり楽しい幼児期を過ごしました。(彼女のニュアンスでは裕福だったということでしょうね)グレは学生時代は平凡でしたが、私は彼がスポーツで優れていたということを知っています。1932~33年にはRADへ参加し、1934~35年には砲兵部隊を経て、ドイツ空軍に入りました。

友人の写真から。陸軍砲兵科から空軍へ移り変わる肖像写真。
Oesau recruitment 1936-1938 by onemeanmotherfokker who is my friend.

 学校からの恋人ロッテ(今のところ、ファミリーネームの記録は不明)とグレの母は、空軍に入ろうとする彼にご立腹でした。実は、グレは陸軍(Heer)から空軍に転属したということを誰にも(家族にさえ)伝えておらず、訓練を終えてから(最初の単独飛行では悪ふざけをしていたので墜落し)足を骨折して家に帰ってきたのです。

Wedding 1940 by onemeanmotherfokker

 グレはその後、ロッテにプロポーズしたのではないか、と私は思います。彼らは1940年のクリスマスに結婚したのですから。(私はそれが1940年12月15日頃だった、と家族から聞きました。そして、グレとロッテは彼らの70周年にヴァルハラへ上がることにしました)おそらく、彼らには一人息子ともう一人の子供がいました。
※つまり、ロッテさんはその頃に亡くなられたんだと思います。

「彼の墓標を見ると悲しくなる。お墓は奥さんと一緒じゃないの」
とお友達。確かに、グレ家のお墓に奥さんがいない...(リンク
「多分、ロッテはヴィック(Helmut Wick)の妻と同じ運命で苦しんだのかも。2人の子供たちと。当時、未婚の母の暮らしは厳しかった。再婚が最良の方法だったのよ」

「ところで、ヴィックの息子(1939年生まれ)とグレとあなたの息子はWalterなのね!」
と話をふる私に、
「ヘルムートが息子Walterに言ってたみたいに、私も息子のことを小鳥ちゃんと呼ぶわ」
と嬉しそうに話してくれました。小鳥ちゃん(笑)
(2012.4.3追記)

同じく。左がグレ、真ん中がメルダース。
Oesau Legion Condor by onemeanmotherfokker

この、生足メルダースと一緒のグレの写真にコメントを寄せたら彼女の返事がきました。
「あなたから見て(グレの)右足が曲がっているでしょ?彼は最初の単独飛行で骨折してから、いつも右脚を回すような変な歩き方をしていた。それで、これが彼だとわかったの」
これはビデオ映像からの引用だそうです。(2012.4.3追記)

 グレはファーティことヴェルナー・メルダースから訓練を受け、1938年の春にコンドル軍団の第88戦闘団(JGr 88)の一員としてエドゥ(エドゥヴァルト・ノイマン Edu Neumann)とスペインへ赴き、そこでドルフォ(アドルフ・ガーラント)と知り合いました。グレはガーラントとメルダース両方の友人であった数少ない人物の一人でした。

一見、プレイボーイ的なガーラントと、物静かで宗教的なタイプのメルダース。どちらかの友人であることが多いのですが、両方とも友達というのはめったにいなかったのです。グレは剣・ダイヤモンド付スペイン十字章金章受章者28人の中の1人でした。


 グレはスペインで負傷しただけでなく、1941年には破片で顔とひざに酷い怪我を負いましたが、怪我をしていたと思えないほどみごとに回復しました。傷跡から「外科的な」割れあごを手に入れちゃったんだけれど(笑)

(追加)グレは親切な良い人でしたが短気でした。それが、彼の人生を失うことにもつながりました。(日本版Wikiを読んで泣いてやってください~)

 メルダースはグレにとって「かなりきちんとした」教官でした。(同時にではありませんが)彼らがコンドル軍団に就いた時には、とてもよい友人としてガーラントのすぐそばで働き、3人は非常に良い友人になりました。(私が言ったみたいに、ドルフォとファーティくらい対照的な2人が友達と言うのは不思議なことだけど、グレが双方の友達だったというのはもっと奇妙なこと!)
 グレが第2戦闘航空団(JG 2)の指揮官だった頃に作った庭園の一部がフランスのボーモン・ル・ロジェ(Beaumont-le-Roger)にあります。彼らがかなり変なのは間違いありませんね。私はそこへすごく行きたいです。(おわり)

 へぇ~と思ったのは、あのケツ顎が後天的なものだったということ。確かに上の白黒写真ではケツ顎じゃない!!良い位置に傷を作ってくださった。。。「その続きは友達とWikiに書いたので見てね」……だそうですので、続きはぜひ、彼女たちのページでご覧になってみてください。そういう訳なので、息切れしました(笑)

Source: Walter "Gulle" Oesau
※さっき、日本語版をみたら内容が増えている。。。ありがとうございます、親切なお方♪



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